編曲(アレンジ)のおはなし
Discussion about "Arrangement"
とても面白くて、奥が深いんだけれど、なかなか理解されにくい「編曲」というしごとについて、日頃感じていることや、過去にコメントしている記事などを、ご紹介します。
はるか昔の記事は、我ながら「若いなぁ~!」と思い、ちょっと恥ずかしいものもありますが…。
◆アレンジ(編曲)って何?…アレンジはじめの一歩
アレンジとは、音楽の「演出」のことです。質疑応答風に(FAQ風に)、頑張って一言でいうと、こうなります。演奏会などでこうお話しすると、まだ何となく「?」という表情の方も多くいらっしゃるのですが、さらにくだけた言い方をすると、アレンジとは、音楽の「デザイン」の部分をいう、これならピンとくるでしょうか。
子供の頃、きっとほとんどの方が歌った「かごめかごめ」。ちょっと今ここで、口ずさんでみて下さい。それに手拍子を入れてみる。歌だけの時と、雰囲気が変わり、少しだけ世界が変化したと思いませんか?とてもシンプルですが、これがアレンジの第一歩です。(手拍子のパターンを変えてみたくなったり、そのへんのお茶碗なんかも叩きたくなった方は、アレンジャーの素質あり、です!)
とても単純なものから、複雑で難しいものまで、千差万別あるアレンジの世界。意外と身近に感じることができるのです。(2015.7.4)
◆「育ての親」が理解してくれた、アレンジ
編曲(アレンジ)に理解の深かった「ガオさん」はこちらへ→<ここをクリック!>
(『ろここ通信』 No.83 2012.4月発行 より 連載”Gao Forever!” (2)から)
◆アレンジって実は、カウンセリングに似ている、という話
…(河合隼雄先生の)著作のなかでは特に、ユングの考えを土台に日本での臨床経験に基づく現場に即した論考を展開されている、ヨーロッパ偏重でない「日本発」であるところと、患者の声を聴くというカウンセリングのプロセスが、私が長年手がけてきた「アレンジ(編曲)」に似ているところに惹かれた。アレンジは特にクラシック業界では現場のニーズが多い割には、その質が正当に評価されているとは言い難く、曲のたましいに耳を傾け続けて来た私には溜飲の下がる思いもあった。
(『ろここ通信』No.80 2007.11月発行 より 「たましいの うたを」~河合隼雄先生の旅立ちによせて~から抜粋)
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この部分については、「えっ!?何、それどういうこと??」と思っていらっしゃる方も多いと思いますので、補足します。
アレンジには、本当にいろいろなあり方や方法がありますが、私が今まで手掛けてきたものについては、まずアレンジの元となる曲を「とにかく聴く」ことが大切だと思っています。
もちろん聴くといっても、演奏の好みや出来栄えなど、表に出てきたものには様々な違いがありますので、ここでは実際の音というより、音の向こうにある曲のたましいというのか、本質的なものを聴き取ることが一番大切ではないかと思っています。
そして、アレンジする先の編成(例えば、フルート三重奏など)をイメージしながら、ただただ聴く。無心になって聴いているうちに、ポンと出てくるのがアレンジ。私はそう思っています。
自分の手でああしよう、こうしよう、と画策?したりせず、曲の語るものにひたすら耳を傾けていると、方向が見えてくる。これが、河合隼雄先生の言われるカウンセリングのプロセスと似ている気がして、何だか「我が意を得たり」と思ったわけです。
(ご興味のある方は、ぜひ河合先生のご著書をお手にとってみて下さい。大半が読みやすく書かれています。) (2014.12.22)
◆いいアレンジ、悪いアレンジ
…アレンジという仕事に対しては、まだまだ「他人のフンドシで...」のような見方が多く、作業面ばかりが指摘され、その音楽的な面については、「玄人受け」の世界にとどまり、一般的評価は低い。「アレンジ」に陽の当たる時代がくるかどうかはさておき、アレンジの良し悪しについて。
☆奇をてらった、いかにも「凝ってます」風は、だいたい×。(残念なことに、この手のがすごいアレンジだと思ってる人が多い。アレンジに大切なのは、節度というセンス!)
☆原曲の細部に、がんじがらめになっている「作業アレンジ」は×。(成功しているアレンジはおおむね、原曲の「気分」を生かしている。)
すべての曲が「アレンジ」に向いているわけではないことも、重要なポイント。
(『ろここ通信』 No.36 1994.3月発行 より)
◆アレンジの足し算と引き算
歌などのメロディー(単旋律)に、音を足して行くことで、より大きい編成にして華やかにする「足し算」のアレンジと、オーケストラやピアノなどの元々音がたくさんある楽曲から、エッセンスを抜き出して、小さい編成にまとめる「引き算」のアレンジ。
概して引き算の方が、ずっと難しいと言えます。休符が勝負、みたいな世界かもしれない。
これはきっと音楽ばかりでなく、絵画や造形、そして文学などにも当てはまるのだと思います。 (2015.1.12)
◆私の「アレンジの原点」
縁あってかかわることになった物事、ましてや「お役目」のような気持ちで取り組んできた仕事などについては、その原体験をさぐる気持ちに、誰しも一度はなるものではないかと思っています。
私の場合、このアレンジ(編曲)についてはっきり意識したのは、たぶん中学生の初め頃だと思います。自分がアレンジをずっとやっていく立場になるだろうという、予感のような(お告げ?のような)体験がまずあり、その後まもなく強く惹きつけられた「アレンジ」のスタイルが、セルジオ・メンデスとブラジル'66(「マシュ・ケ・ナダ」の入ったアルバム)だと記憶しています。もちろんリアルタイムでのヒットは知らず、すでにスタンダードとなっていたこのアルバムを聴いたわけですが、セルジオ・メンデスの素晴らしいセンスと、独立したジャンルとしてのアレンジのあり方、そしてピアニストとしての卓越した演奏にも強く惹かれ、何となく「これだ!」と思ったのを覚えています。セルジオ・メンデスは、アメリカで市場を開拓してゆくのですが、常に自分のブラジルの原点を見失わなかったあたりも、いいなぁと思っています。(2015.5.31)
◆私のアレンジ「もうひとつの原点」
間口が広くて、様々なあり方が混在している「アレンジ」の世界。
私はごく若いころから、漠然と自分のやり方についてのイメージを持っていたのですが、路線ができていくまでのプロセスとして、実は音楽以外の分野からのヒントが、大きな意味を持つこととなりました。
その一つが、小説家田辺聖子の古典文学もの。『源氏物語』や『枕草子』などの名作のリライトものです。私は高校時代、古文の授業がきっかけで、古典文学に夢中になっていたこともあって、古典を現代に生かす試みには深い関心がありました。その中で、この「お聖さんの古典文学」はすごいと思った。オリジナル作品をすみずみまで読み込んで、その本質を生かしながら、今の感性で受け止め、楽しみながらも、気づいてみれば深い洞察にいざなわれていくような語り口。誰にも真似できないオリジナリティーがありながら、決してしゃしゃり出ることなく、原作への敬意に満ちている感じ。私も、音楽でこんなことができたら素敵だと、強く思いました。
昨年天に召された「お聖さん」は、「真の日本語の達人で、一行も手抜きがなかった」と評された、まさに生まれながらの作家です。若い日々にファンとして、私淑するように親しんだ田辺作品には、「本当のオトナになりなさいね」と、読者を包み込むように導いてくれる魅力があり、作品で育てて頂いたという実感があります。(2020.3.27:田辺聖子さんの誕生日に。)
◆作曲と編曲、どこが違う?
編曲には、その元となる原曲が存在します。どんなやり方の編曲でも、原曲なしには存在できず、その原曲にどのような操作を加えたかということが、編曲のあり方を決めてゆくわけです。原曲とどんな関係になっているか、つまり、どんな距離感なのか、仲良しなのか、それともかけ離れているのか。成功している編曲のなかには、原曲よりも認知度が高くなっているものだってあります。
一方作曲となると、こちらには原曲は存在しません。では、全くの無から創造するのでしょうか。
ご縁あって、アマチュア・フルーティストとしても知られる臨床心理学の河合隼雄先生と、演奏会でご一緒させていただいたとき、リハーサルが終わった後の雑談のなかで、そんな話題が出たことがありました。「作曲は編曲と違って、全く何もないところから作るわけだから(格が上ではないか)…」というような話になったので、その時作曲者であった立場の私が、「そう見えるかもしれないけれど、我々は生まれた時から大量の音楽情報に触れているわけだから、具体的に真似をしようと思わなくても、そんな漠然とした音の記憶の中から浮かんでくるものではないかと思う。」と言うと、それまで寡黙に会話に耳を傾けていらした河合先生が、突然大きな声で「そうです、その通り!」と言われたので、驚きました。「意識と無意識というのは、そういうことです。」と、珍しく断言されたのです。無意識のなかに積もった音楽の記憶と対話することで、創作行為が生まれてくる。私はこの考え方が今も好きです。 (2020.8.25)
◆編曲 (へんきょく) という語感がちょっと…
最近、「編曲」という言葉の語感、音にしたときの響きが何となくイマイチなんじゃないかという気がしています。
「へんきょく」って何となく変?
横文字ではアレンジ。この言葉は最近とてもたくさんの分野で使われますが、音楽の分野のアレンジより、もう少し意味が広い印象があります。
しかし「並べる、整える、再構成する」なんていう訳を見ると、むしろこれは音楽のアレンジの本質についても、よく言い当てているようにも思います。
アレンジの語源は古いフランス語で、元々は「~に向かって兵隊を並ばせる」という軍事用語だという説があります。結構仕切り屋の仕事なのですね!一見知らん顔して、実は仕切っている感じ。これはまさにアレンジャーそのものです。
それにしても、へんきょく。この語感、何とかならないかなぁ。
失敗すると「変な曲」になる。そうです、そのとおり!気をつけましょう。(2021.11.30)
◆「雑食性」という武器
音楽のアレンジには、本当にさまざまなあり方が混在していて、なかなかひとことでは言い表せないことは、当サイトでも繰り返しふれてきました。間口が広くて、人それぞれのやり方があるということですが、それでもアレンジャーという体質の人々に見られる共通点というのが、この「雑食性」なのではないかと思います。音楽の雑食性、それはさまざまな種類の音楽を受け付け、表現する感覚があるということ。これは面白いことですが、うまく使いこなさないと実際のところ難しくなってきます。雑食性を生かそうとしても、ポリシーにしっかりした芯がないと、音楽は浅くなってしまうし、「便利な人」として消費されてしまいます。元々我ら日本人は、「何々道」とか「何々一筋」というのを好む傾向がありますから、ストイックな世界観のなかでは、雑食性はちょっと居心地が悪かったりします。
でも、雑食性にはものごとを変えてゆく大きな可能性とパワーがあり、それぞれの時代や地域で大きな役割を果たしてきました。最近はITなどのテクノロジーのおかげで、情報量の処理能力が高まり、複数のことを同時に手掛けることができるようになりました。昔なら「軽薄」だとか「欲張り」などとみなされてきたことが当たり前になってきて、雑食組もそこそこ市民権を得られるようになったと感じます。野球の「二刀流」が喝采をもって迎えられ始めた頃は嬉しい驚きでしたが、あれを今更「欲張り」と感じる人はごく少数でしょう。
「二刀流」になぞらえていえば、ゆるぎない自分軸をしっかり意識して、コミットできる範囲をその都度見定めてゆくことで、「雑食性」は素敵な武器になると考えています。 (2022.11.28)
(In progress)
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音楽 物思い Musing over music
◆音楽と「癒し」の微妙で絶妙な関係
音楽が人の心を癒し、元気づけるというのは、よく言われることです。実際感覚的に経験のある方も多いことでしょう。例えば高齢者施設などで、ふだんはほとんど表情のない人が、昔の歌を耳にして表情が緩んだり、かすかに口ずさむような動きが出てくるのを見ていると、音楽が人間の意識の深いところに語りかける何かを、感じずにはいられません。
でも、クラシックがどうしても堅苦しいと思える人や、或いはピアノなどを頑張って練習した経験のある人が、何かつらい記憶、たとえば失敗したりひどく叱られたりという記憶と結びついている曲がある場合などは、決してそういう曲では癒されないはずです。また、演歌こそが自分に一番しっくりくるという人もいれば、どうしてもダメな人もいる。そんなとてもパーソナルでデリケートな部分と響き合う音楽の効用を思うと、決して「○○を聴けば癒される」というような安易な世界ではなく、本当に微妙で絶妙な関係なのだと思います。
もし、私の作品を聴いたり演奏したりして「癒される~」と感じて下さるなら、それはこの上ない喜びではありますが、それと同時に、きっと深い部分で何かが通い合っているのかな、という気がします。 (2015.3.22)
◆優れた成果は、豊かなインプットから。
いい演奏をしたい、少しでも進歩していたい。プロアマ問わず、きっと誰もが願うことでしょう。そのためにはどうしたらいいのか、日々試行錯誤するものだと思います。技術的なトレーニングはもちろん大切ですが、私は、演奏しようとする音楽をどのようなイメージで自分の中で描けるか、ということが、もしかしたら一番大事なのかもしれないと思っています。楽譜からの情報でも耳からの聞き覚えでも、インプットした情報をどう選んで整理して、演奏つまりアウトプットに繋げてゆくのかということ。練習やレッスンなどでは、出てきた音つまりアウトプットの結果について、検討するケースが多いと思いますが、私はその一歩手前、音になる前のイメージをしっかり持てるような指導や練習が大切だと思います。楽譜の通り間違いなくできていても、音楽としてなんかおかしいという時に、先生の演奏を聴いて、ああこういう意味だったのかと修正する。これは当初のイメージ作りがイマイチだったということでしょう。これはある意味とても難しいことですが、音楽の個性の源はここだと思います。
一方、アウトプットの視点をちょっと変えた、面白いことがありました。絵の得意な生徒に以前、別のアウトプット、つまり曲から広がるイメージを試しに絵に描いてもらったことがありました。当時まだ小さい子供だったのに、その豊かな世界には本当にびっくり!出てきた音だけからは計り知れない深い世界が、内面に広がっていたことに気づかされたのですが、時には、こんな成果もありかなと思うのです。(2016.2.28)
◆「忙しがらない」という知恵
◆休符もカンタービレ
歌でも楽器の演奏でも、よく「うたう」のが大切だと言われます。「もっとうたって」とレッスンなどで言われる方も多いのではないでしょうか。演奏が乗ってくると音楽の世界に入ってゆく感じになり、うたう感じがつかめてくるものですが、ここで音楽に流されてしまうと、やりすぎになったりして、何となくしまりのない演奏になってしまいます。自然にうたうのは、専門家にとっても究極の課題なのかもしれません。
カンタービレ Cantabile というのは、まさにこの「うたうことをしっかりやってください」、という指示ですが、これはやはりイタリアの人たちが得意とするところです。生来体質的に備え持っているのかも、という気もします。
拙作の『マダム・バタフライ奇想曲』を、ミラノ・スカラ座の首席フルーティスト マルコ・ゾーニさん率いるイタリア人グループで演奏して頂いた時(2017年)には、ああこれが本当のカンタービレかと、心が震えました。もちろん、音符の書いてある部分のうたい方、フレーズの処理の仕方もそうなのですが、驚きと共に気づいたのは、実は音の鳴っていない休符の部分を Cantabile に感じたこと。そうか、イタリアの音楽というのは、休符のところもカンタービレなのだ、音楽と共に進む時をこういう風に捉えるものなのかと、いわばカルチャーショックをもって学んだ思いでした。(2020.6.5)
◆声の魅力が叶えるもの
声。それは人間が道具を使わずに出すことができる音で、最も原始的なツールと言えると思います。私はやはり職業的習慣のせいなのか、人の発するいろいろな声に、常に関心をそそられるようです。何となくこの人の言うことはすんなり入ってくると思う時、それはやっぱり「声がいいからだ」と思うことが、よくあります。もちろん、声の好みは人それぞれで、かなり生理的な感覚に近いところで決まってくる部分が多くあることも実感しますが、好みとはちょっと違った次元で、いい声だなぁと感じることがあります。それはたぶん、その声の持ち主が、自分の声を客観的に分かっていて、その人なりに声を使いこなす術を、経験的につかんでいるからではないかと思います。
声のプロたちは、当然のことながら、この感覚と技を徹底的に磨きます。長年親しくして頂いている知人に、往年の名講釈師の家で生まれ育った方がおられるのですが、彼女は小さい時分から、御父上に普段の声の使い方をずいぶん厳しく指導されたそうです。住み込みの内弟子さんたちと同じように、しっかり語尾まではっきり言え、モゴモゴしゃべってはいかん、と。そんな彼女は、声を使って社会に貢献してきたばかりでなく、八十路を迎えた今も、活舌滑らかな、張りのある美声の持ち主です。
自分の話し声をあまり意識したことがない、という方も多いかもしれません。でも実は大切な自分の声。今日から自分の声に、耳を傾けてみませんか?(2020.7.6)
◆音楽にできること ~ 東日本大震災から10年
2021年は、東日本大震災から丸十年。震災が起きた3月には、震災について様々なメディアでたくさんの人たちがいろいろなコメントをして、情報合戦のような様相にもなりました。丸十年という数字は確かにきりがいいので、何となく一区切りのような振り返りも多かったなか、私は今一つこの情報発信に積極的に加担する気持ちになれずにいました。十年と言っても、特に被災された方々にとっては単なる通過点なのではないか、と思っていたからです。
震災のように、自分でコントロールできないところで起こってしまう、つらい出来事。被災者から時に発せられる「自分ごととして考え続けてほしい」という発言には、とても重い響きがあります。これはコロナ差別の問題や、種々のいじめなどにも通じるところだと思うのですが、そういう避けられずに起こってしまう出来事を、当事者でない世間一般が「他人事」で片付けがちになる傾向について、先日なるほどと納得できるコメントに出会いました。
それは、日本人の「穢れ」という発想から来るのではないかという意見。
災難に遭ってしまったことそのものを、日本人は潜在的に「穢れ」と認識し、それを避けたがる。震災の被災者でなくても、自らの体験に照らし合わせて思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか。「東北を忘れないで」「風化させないで」そのとおりだと思いますが、私たちは根本の穢れ感覚を切り替えることができて初めて、そういう視野が持てるのかもしれない。
このウエブサイトのトップページの片隅には、「災害で被災された方々の復興を、心よりお祈り申し上げます。」という言葉を、ずっと載せています。何年経っても、どんな災害でも、そう、心の災害も含めたあらゆる理不尽な出来事について、そう祈りたいのです。音楽がそんな思いを浄化する役目が少しでもできるとしたら、音楽家として本望かもしれません。(2021.7.30 : 2021.3.29トップページのブログコーナーの記事を若干修正)
◆フルートの不思議な面白さ
縁あって、「育ての親」といえるフルーティスト故・齊藤賀雄さん(読売日本交響楽団首席奏者:当時)に声をかけて頂いたのがきっかけで、気づいてみればフルートの世界に関わらせていただいてからずいぶんの年月が経ちます。
元々何となく「笛」が好きではあったのですが、それは音を出す構造がとてもシンプルであること、つまり口を笛の吹き口に直接つけて息を入れるだけという仕組みに何となく惹かれていたのかもしれません。フルートもまさにそう。息を吹き入れ、自分の息だけで音を作る時、何となく心の奥にある何かが笛の音にのって開放される感じがあります。そんな魂から直に出てくるかのような、ちょっと生々しい感覚がある一方で、フルートで奏でられる音楽はそれに反して、どこか現実世界を突き抜けたような、独特の高みを目指す感じがあります。これはきっと科学的に考えると、フルートという楽器から出る音の組成(倍音をたくさん含んでいない)によるところも大きいと思うのですが、私はこの生々しい発音原理と現実を突き抜けた高みを感じさせる音楽というギャップが、この楽器の最大の面白さだと感じています。心の奥からはるか高みへ一気にワープできるような感覚が、ちょっと魔法のように感じられるのです。
フルートを吹くとき、初めはどうしても力んで息をたくさん使おうとしてしまうものですが、そうするとすぐに疲れてしまっていい音にはなりません。それぞれの音域でよい響きの音を出すにはちょっと訓練が必要ですし、熱くなりすぎてはダメで、冷静なコントロールが求められます。何だか心の奥にあるものを出す時のプロセスにも似ていますね。(2023.8.13)
音楽 物思い (2) Musing over Music (2)
◆細幅ピアノで「魂の邂逅(かいこう)」 ----- 中田喜直 生誕100年展 NEW!!
コロナ禍の行動規制が解けて間もない2023年夏、作曲家中田喜直(1923~2000)の生誕100年を記念して、その功績をしのぶ大規模な展覧会が、氏とゆかりの深い横浜で催されました。
「夏の思い出」や「ちいさい秋みつけた」など、誰もが口ずさんできた美しいメロディーは、今もなお日本人の心の核心をゆさぶるような、世代を超えた愛唱歌と言えると思います。たぐいまれなメロディー・メーカーであると同時に、氏が実は藝大時代はピアノを専攻し、ピアノにはとてもこだわりがあったことは、知る人ぞ知る事実かもしれません。
展覧会の入口に置かれていたのは、氏が提唱した「細幅鍵盤ピアノ」。ピアノが量産される時代になる前は、ピアノの鍵盤の幅(大きさ)が、実は楽器によって違っていたことも、あまり知られていませんが、今は規格サイズに手を適応させてゆく必要があるわけです。つまり十分な手の大きさがあるかどうかが問題で、日本人はこの条件を肉体的に満たすのがなかなか困難であることから、「手が小さい」ことを「劣っている」こととみなす傾向は今も根強くあります。小柄だった氏もこの問題を抱えておられたわけですが、そこを逆手にとって、楽器の方を日本人の体格に合わせてはどうかという提案をして、実際に規格より細い幅のピアノを作ってしまったというわけです。私はぜひこれを弾いてみたいと以前から強く思っていて、ついにその機会が訪れました。
ここで恥ずかしながら告白する必要があるのですが、中田喜直先生といえば、私が中学の時にピアノ伴奏で出場したNHKの合唱コンクールの最終(録音)審査の審査員でいらして、その時私の演奏に好意的なコメントをしてくださったという、まさに私の人生が大きく動いたご縁があるのです。この細幅鍵盤ピアノは、草津の別荘に置かれていたものだそうですが、よく手入れがされていて、やわらかで芯のある音。よく耳をすまして弾けば、自然にそのよく伸びる音に導かれて、素敵な音楽になってゆくような感じがします。「ちいさい秋見つけた」を弾きながら、ああ、これが中田先生のピアノの音かと、生前お会いすることはなかったけれど、やっとお会いできたような気がして、気づけば昔のコンクールの課題曲の冒頭を弾いていました。「先生、私覚えていますか…」
音楽の力、その不思議さにずっと導かれて生きてきたのかもしれないと思いながら、切ない素敵なひとときが過ぎてゆきました。(2024.1.31)
(In Progress)
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楽曲への思い (特別編) Thoughts about my works (Special)
個々の楽曲について、楽譜の前書きからちょっとはみ出した話題をお届けしていますが、このコーナーはちょっと特別な背景を持つ曲たちのスペシャル・ヴァージョンです。
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♪四季の抒情歌メドレー ~故郷へのオマージュ (どこかで春が~われは海の子~虫のこえ~冬の夜 )♪
"The Four Seasons" Homage to our motherland Japan /Arranged by A.Nanase(2Flutes) MOS No.47 (2011)
日本ならではの季節の風景に、心の原風景を重ねる音楽の旅。都会育ちの人でも、旅先や郊外で昔ながらの日本らしい風景に出会うと、なぜか懐かしい気持ちになるのは、やはり何らかのDNAが関わっているようで、不思議な気がします。音楽は、そんな原風景を豊かに照らし出してくれますが、楽譜の「S」の部分150小節目から、こっそり「ふるさと」のメロディーが入っていること、気づいてくださっていると思います。ここが、綺麗なピアニッシモで決まると、いい感じになると思っています。 (2015.3.11)
…抒情歌のメドレーは、やはり背景にこの春の東日本大震災が大きくあり、犠牲者への鎮魂、震災からの復興、そして新たなる日本再建への思いをこめてまとめました。抒情歌をつなぐ四季のフレーズは、故・河合隼雄先生のために書いた、拙作の室内楽組曲『巡礼』(初演2004年)に、トーンが似ているかなとも思います。 (『ろここ通信』No.82 2011.8 より)
♪Lullaby for Yesterdays ~過ぎゆく時に~ ♪
Composed by A.Nanase (3Flutes) MOS No.47 (2011)
二度と帰ってこない「今」という時が、光に包まれて降りてきた天使たちとともに、安らかな眠りに落ちるように過ぎ去ってゆく。今を懸命に生きる、すべての大人たちに贈る子守歌。
楽譜の47小節目、第二フルートの3拍目の頭のgは、fのミスプリです。
私の「育ての親」に当たるフルーティスト故・齊藤賀雄さんと、そのグループで長年演奏してきた曲を、ムラマツ・オリジナル・シリーズのために、氏の追悼企画としてフルート三重奏に仕立てたものです。元々の題は「昨日にベルスーズ」でしたが、出版に当たって改題しました。(楽譜の表紙には、日本語の副題の方が掲載されていますが、目次にあるように、Lullaby for Yesterdays がメインのタイトルです。) (2017.10.29)
~Gaoさんとこの曲のエピソード~
…この曲に、(齊藤)氏はいつもの親しみをこめた憎たれ口で「ベルズーズ」という仇名をつけ、いろいろな楽器の組み合わせにして(つまり、その都度譜面を作り直す!)、あちこちで数えきれないほど演奏しました。…読売日響の室内楽仲間に可愛がってもらってきた幸せな曲なので、追悼というよりは、氏が生きた証しを秘めた曲として、たくさんの方々に末永く愛奏して頂ければと願っています。(『ろここ通信』No.82 2011.8 より)
♪コリア風デリカート ♪ Renewal !!
Delicato in the manner of Korea/ Composed by A.Nanase (3Flutes) MOS No.50 (2012)
’93年に初めて韓国を訪問した時の印象をつづった曲。はじめはファゴットの曲として書き下ろし(原題:デリカート)、私の「育ての親アンサンブル」にあたる、読売日響首席木管アンサンブルの公演でも、ファゴットとピアノで何度も演奏してきました。
当時はまだ「韓流」という言葉もなく、コリア Korea の世界はまだ珍しいの域を出ない感じでしたが、名手山田秀男さんの魔力的なとろけるような音に、東洋的な世界が絶妙にかみ合い、個人的にはとても気に入っていた曲です。
またこの曲は、私が音楽活動を始めた当初から様々な形でご支援いただいてきた、池 明観(ち・みょんくゎん)先生(1924~2022 宗教哲学者:'90年代後半、金大中政権のブレーンとして日韓文化交流の礎を築かれた要人)への感謝の思いをこめた献呈曲というべきもので、私にとっては、演奏するたびに、「韓国のお父さん」池先生とご一緒したソウルの鮮やかな秋晴れの光景が浮かぶ、思い出深い曲です。(『ろここ通信』No.84 2012.11 を一部修正 2022.1.5)
朝鮮半島の民族音楽のフィーリングを意識してはいますが、だからといって、演奏する際に無理にこじつける必要はないと思います。 当時ファゴットの山田さんにも、そのようにお伝えして、自分のフィーリングで、とお願いしました。彼も、「今も強く印象に残る、大好きな曲」とコメントしてくださり、有り難く思っています。
フルート合奏では、リズムを決めるのが難しく感じるかもしれませんが、素敵な演奏に仕上げて下さるのを期待しています! (2014.11.28)
楽曲への思い(2) Thoughts about my works (2)
------ トップページの 『季節の一曲』 コーナーに過去に掲載した記事 ------
♪ラデツキー行進曲♪
Radetzky Marsch (J.Strauss/Nanase) (2Flutes) MOS No.50 (2012)
元日恒例のウィーン・フィルによる、ニューイヤー・コンサートのラストを締めくくる曲としてお馴染みですが、それをたった2本のフルートだけでやってしまおう、というわけです。
大編成のイメージがあるのに、まさか…?と思われるかもしれませんが、言ってみればミニチュアの世界。
休符やアーティキュレーションを丁寧に読み取って、「余白の妙」の世界を演出してみてくださいね!(トップページ「季節の一曲」2014 12月~2015 1月 より)
♪赤いサラファン♪
The Scarlet Sarafan(Russian song/Nanase) (2Flutes) MOS No.38 (2008)
一年で一番寒い季節には、ロシアの歌で美しい雪の大地の世界を想像してみませんか。雪深い地域の方なら、なおさら親しみを感じながら、イメージを広げられるかもしれませんね。
サラファンは、ジャンパースカートのような形の女性の民族服。娘の婚礼の晴れ着としての、特別なサラファンを縫うという歌の内容からは、冬の長い季節の、根気強い針仕事を想像してしまいます。
ロシア民謡独特の、テンポが揺れ動く前半は、まとめるのに難しく感じるかもしれませんが、音楽がうまく流れるように、工夫してみて下さい。転調したところは、一気に!心地よい冬のひと時でありますように…。(トップページ「季節の一曲」2015 1~2月より)
♪大きな古時計♪
Grandfather's Clock (H.C.Work/Nanase) (2Flutes) MOS No.26 (2004)
春は、出会いと別れの季節。ちょっとセンチメンタルな気分になるこの曲で、新年度への素敵な門出を応援したいと思います。
背高のっぽの家具のような置時計。今では極めつけのアンティークですが、この原曲ができた1876年頃は、まさに産業革命が花開いた時代。機械が量産され始めた時期と考えられるから、この時計は当時ピッカピカの流行りものだったはずという、友人のアメリカ史研究家の話を聞いて、へぇ~と驚きました。誕生祝にそんな時計を贈られたおじいさん、何だか粋でおしゃれな人だったような気がしてきます。
フルートでのスタッカートの連打は、テンポ・キープが難しいもの。おじいさんの日々を刻むチクタク…の音を軽快に刻んでみて下さい。Meno Mossoのところは、演奏者それぞれの人生の味わいがにじみ出てくるといいなと、期待しています。(トップページ「季節の一曲」2015 3~4月より)
♪のばらに寄す♪
To a Wild Rose (E.MacDowell / Nanase) (2Flutes) MOS No.20 (2002)
春の花が次々に咲く季節には、アメリカの作曲家マクダウェルによる、ちょっと懐かしいアメリカの香りがするこの曲はいかがでしょう。
原曲は、「森のスケッチ」というピアノ小品の組曲のなかの、第一曲目に登場する作品ですから、とても印象に残るメロディーで、「森のスケッチ」といえばこれ、というような作者の狙い(勝負感覚?)が、伝わってくる気がします。
オーケストラに関心の高かったマクダウェルらしく、原曲は、少ない音のなかから多彩な響きを感じるタイプの曲。フルートでも、聴き終えた後に、何だかもっとたくさん音が鳴っていたような気がする、という印象に仕上げてくださると、嬉しいです。転調したあとの部分を、ちょっとメドレー風に、ストーリー感を持たせてまとめると、うまくいくと思います。(トップページ「季節の一曲」2015 5~6月 より)
♪ゴンドラのうた♪
Refrain du Gondlier (J.F.F.Burgmüller/ Nanase) (3Flutes) MOS No.38 (2008)
ブルグミュラーといえば、ピアノ学習者の必須レパートリーとして、よく知られていますが、この曲は有名な25の練習曲集ではなく、少し難易度が上がる18の練習曲集に入っています。この曲が、「貴婦人の乗馬」や「バラード」と同じ作曲者によるものだとは、ちょっと想像しにくいかもしれませんが、とてもエレガントな雰囲気があり、キラキラ光るさざ波が揺れるようなイメージが、フルートの音色にぴったりだと思ってこの編曲をまとめました。長いフレーズをたっぷりと歌うと、この曲の良さが出てきます。
また、楽譜のDから3番フルートにメロディーが来るところで、上のパートとのバランスを工夫すると、音楽が生き生きしてくると思います。夏の一日、水辺の気分で楽しんでくださればと思っています。(トップページ「季節の一曲」2015 7~8月より)
♪山の音楽家♪
Ich bin ein Musikante (Deutsches Volkslied/ Nanase) (2Flutes) MOS No.32 (2006)
♪星の世界♪
What a Friend We Have in Jesus (Converse/ Nanase) (2Flutes) MOS No.47(2011)
木枯らしが吹く頃になると、夜の空の色が深くなり、星のまたたきも何となく心にしみる感じがします。街中のクリスマス・イルミネーションも年々進化し、我が国日本でも点灯時期が早くなったなぁと感じますが、そんなロマンティックな季節を、「星の世界」の二重奏で盛り上げてみるのはいかがでしょう。
アメリカの作曲家コンヴァースによる、よく知られたメロディーで、讃美歌でもおなじみですが、メロディーそのものには少しアメリカっぽい懐かしい気分があります。
教会などのよく響くスペースでは、少しテンポを遅めにするといいと思います。ラストのセカンド・パートの四分音符は、ひとつひとつ丁寧に吹いて、いろいろなイメージを広げてみてください。(季節の一曲 2015年12月~2016年1月より)
♪愛の挨拶♪
Salut D'amour (E.Elgar/Nanase) (2Flutes) MOS No.23(2003)
♪オールド・ローズ~フェリシテ・パルマンティエ♪
バラの世界は本当に奥が深くて、次々と新しい品種が生み出されるなか、芳香が強く、バラの中のバラという気品をたたえたオールド・ローズ。栽培家の中にもファンが多いようですが、育てるのは少し難しいようです。古代のバラの系譜を引くというこの「フェリシテ・パルマンティエ」は、ルネサンス期の絵画に出てくるようなバラ。
♪朱夏♪
♪アデリータ♪
秋のしっとりした気分のなか、こんなギター作品からの編曲ものはいかがでしょう。
♪カッチーニの アヴェ・マリア♪
ラスト2小節はていねいに、最後のドゥア(長調)の和音で天に昇るイメージ。
♪仮面舞踏会のワルツ♪ Waltz~Masquerade Suite No.1 (A.Khachaturian/ Nanase) (3Flutes) MOS No.59 (2015)
♪コメ・プリマ♪ Come Prima (Di Paola-Taccani/Nanase) (2Flutes) MOS No.53( 2013)
年度初めには、何かしら新たな出会いが訪れてきます。その新鮮な気持ちは、長く続くわけではありませんが、心の奥深くに残り、ふとしたきっかけでよみがえるもの…なんて思うのは、ある程度人生経験を積んでからのことなのかもしれませんが。
「はじめてのように」という意味のこの曲は、まさにそんな感じ。酸いも甘いもかみ分けてから、昔の恋人に再会した時の気持ちを歌った内容ですが、ぜひ若い方も想像を豊かに広げて、挑戦して頂きたいと思います。
歌の国イタリアの大衆音楽カンツォーネが、世界的にもてはやされたのは、もう半世紀以上前のことですが、この曲の印象的な美しいメロディーは、わずか1オクターブの音域でおさまっています。
フルート・アンサンブルでかっこよくキメるには?
三連のリズムで進んで行くロッカ・バラードの感じ、これを力まずに…というのが結構難しいかもしれませんが、このリズムをうまくつかむに尽きるかもしれません。
時には楽器を持たずに、リズムを口ずさんでみる練習方法もいいと思います。
楽譜のDから、付点のリズムが出てきますが、冒頭からこのリズムを潜在的に感じながら演奏すると、自然につながります。Eからの転調したところでは、少しデュナーミクを落としてエレガントにまとめるイメージです。
皆様の新たな世界が、幸多いことを願っています。(「季節の一曲」2019年4月~6月)
♪ハバネラ♪ Habanera (E.Chabrier/Nanase) (3Flutes) MOS No.56(2014)
19世紀フランスの作曲家シャブリエ による、南国の香りにみちた作品です。
ハバネラといえば、ビゼーの「カルメン」がおなじみですが、ハバネラとは、この時代スペインを中心に大流行したといわれるリズムの名前。ウン、タタッタ、と口ずさむと、思わず身体が動いてきそうです。中米のキューバをルーツに持ち、首都ハバナから取ったといわれる「ハバネラ」という名前。このリズムには、夏の海の景色が似合う気がします。
原曲はピアノで、本人によるオーケストラ版があります。オーケストラの印象が強い方々のなかには、このフルート三重奏をまとめるとき、何とかしてオーケストラっぽい重量感を、と苦心されるかもしれません。しかし、ここではオーケストラのサウンドの世界をちょっと横に置いて、フルート三本でしか出せない充実感、そう、1足す1足す1 が3にとどまらず、あたかもそれ以上に聞こえるような広がりを楽しんでいただけると、嬉しく思います。(ちょっと専門的な話ですが、倍音のマジックというべき相乗効果が、それを可能にしてくれるのです。)
そうは言っても現実にはフルート3本しかありません。その条件であか抜けた演奏にするには、こなれたアンサンブルの流れと、何といってもこのリズム、つまり、三連符と付点と二重付点をしっかり吹き分けるという技術が必要です。
何度も出てくるテーマの三連音符が、重くならずにさりげなく流れる感じに決まったら、きっと南国の夏のからりとした風が、素敵な夏を彩ってくれることでしょう。(「季節の一曲」2019年7~9月)
♪ギロックの サラバンド♪ Sarabande (W.Gillock/ Nanase) (Flute&Piano) MOS No.18 ( 2001)
ピアノを習ったことのある方には、近年すっかりおなじみのギロック。
親しみやすさのなかに、情感あふれるセンスの良さが光る作品が多いこと、また技術的にとっつきやすいものが多いことで、とても人気がありますが、実はこれを本当にお洒落に演奏するのはなかなか難しいというのも、その特徴かもしれません。そう、演奏する人の音楽的な品性のようなものが出てしまうというのか、考えすぎて作りこむと全然面白くなくなってしまう音楽。実は手ごわいのだと思います。
この「サラバンド」は、本当に一息で書いたような、天からそのまま降りてきたような素直さと清冽な気分があって、何となくひざまずきたくなるような音楽です。
フルートの持っている、どこか現実を突き抜けて高みに上るような音のトーンが、この曲にぴったりだなと思ってこのアレンジを書きました。
フルート版も、考えすぎるとダメなようです。まるで即興演奏のように、さりげなく、自然に…これがギロック独特の世界なのかなと思います。
出版から18年経ち、あちこちで可愛がっていただいているこの「サラバンド」ですが、秋のしっとりした気分が、その時々の演奏の背中を押して、音楽に深みを添えてくれるような気がしています。(「季節の一曲」 2019年10~12月)
♪ヤルネフェルトの子守歌♪ Berceuse (A.Järnefelt/Nanase) (2Flutes) MOS No.35( 2007)
寒さが厳しくなるこの時期、北欧フィンランドのこんな調べはいかがでしょう。ちょっと物悲しくて、その情感はまるで北欧の森と湖の大気が香り立つような感じ…。
フィンランドが世界に誇る大作曲家シベリウスの義兄にあたる、アルマス・ヤルネフェルトによる弦楽合奏の美しい小品ですが、最近はいろいろな楽器に編曲されて演奏される機会も増えているようです。
原曲が短いので、フィンランドの民族音楽をちょっと添えてみました。この楽譜のDからの5拍子の部分がそれで(伝承曲「カレワラの調べ」)、民族楽器カンテレ(ツィターに似た弦をはじいて音を出す楽器)の演奏をイメージしています。この部分にほとんどスラーがないのは、この撥弦楽器のイメージということです。テンポも少し落としてもいいと思います。子守歌にある気分を、さらにディープに進めていく感じで、前半とのメリハリをつけてみてください。
全体に長いスラーをたっぷりと歌うのが大切で、Bから主旋律が低い音域になりますので、バランスに気を付けてまとめると、うまくいくと思います。 (「季節の一曲」2020年1月~3月)
♪フランス人形♪ French Doll (W. Gillock/ Nanase) (Flute Solo) MOS No.16 (2001)
弾きやすくて洒落たピアノの小品をたくさん書いた、アメリカ人ギロック(1917~1993) の作品の中で、最も愛されている曲の一つがこの「フランス人形」かもしれません。
ジャズ発祥の地と言われるニューオリンズに拠点を構えていた頃の、まさに円熟期といえる時代の作品です。ニューオリンズといえば、フランス移民の町。そんなフランスの香りにインスピレーションを得たのかもしれません。原曲はわずか34小節、そのなかにオルゴール人形の動きを感じながら、一瞬、日常を離れた世界に飛んでいけるような魅力があります。
ギロックの作品に、フルートと相性のいいものがあると思い始めた頃、初めて無伴奏フルートの編曲作品を書いたのが、この曲です('91年)。フルート1本だけというのは、実際に出てくる音が少ない分、逆に音符の裏(「行間」のような感じ)にたくさん情報があり、それとどう向き合うかが、最大の面白さと難しさであると、私は考えます。一対一で自分と向き合う感じは、時に厳しいものですが、優れたアンサンブルも実は、この「個と向き合う作業」がきっちりできた上で初めて実現できるものです。
具体的には、アーティキュレーションを丁寧に吹き分けること、33小節からの変奏の部分でもたつかずに、軽やかにリズムが感じられるようにすることがポイントかもしれません。
今、30年近く前に書いた自分の譜面と向き合うと、「若いな、元気だな」とも思いますが(笑)、演奏者の皆様も、それぞれの「今」の音楽と向き合って下さると嬉しいです。(「季節の一曲」2020年4月~6月)
♪浜辺の歌♪ Hamabe No Uta (T. Narita/ Nanase) (2Flutes) MOS No.26 (2004)
この歌が作られてから、もう100年以上が経ちます。文語体で書かれている歌詞ながら、今も年代を問わず人々の心に寄り添い続ける、日本を代表する愛唱歌のひとつと言えると思います。西洋音楽のエッセンスが当時の日本人に新鮮だった時代、この美しく覚えやすいメロディーと、どこか懐かしい情感をたたえた作風からは、作曲者成田為三が、日本の原風景を心の奥深くに持っていて、それが自然に音楽ににじみ出ているように感じます。
この編曲についても、原曲にある日本人の得意とする情感が素直に奏でられるように、ということを意識しました。とは言っても、音楽のスタイルや楽器はやはり西洋のものなので、そこをきちっと踏まえること、つまり音楽の約束事をしっかり確認しながらまとめることが大切だと思います。
具体的には、スラーや休符などのアーティキュレーションを丁寧に吹き分けること、特にこの曲では伴奏部に細かい音がたくさん出てきますから、その部分を力まずにさらっとまとめられると、ぐっと質感が上がってくると思われます。
寄せては返す波が、気持ちの動きに寄り添ってくれるひととき…そんな音楽になるといいなぁと願っています。(「季節の一曲」2020年7月~9月)
♪シューベルトのセレナーデ♪ Ständchen(F.Schubert/Nanase) (2Flutes) MOS N0.20 (2002)
セレナーデとは元々、恋人のいる部屋の窓の下で愛をこめて演奏する音楽のこと。もちろんこの窓は、現代の都会の住宅のそれを指すわけではなく、はるか昔の時代の住まいでのワンシーンであり、19世紀前半に作られたこの曲も、思いを寄せる女性に、伴奏楽器を手にした男性が歌いながら切々と恋心を訴えるという内容になっています。
セレナーデには「窓」のイメージが必ずあり、演奏する場所は家の外、つまり屋外です。たくさんの聴衆のためではなく、恋人だけに向かってひそやかに奏でる音楽。こんなシチュエーションが、この曲の背景にあります。
演奏をまとめるに当たっては、大変よく知られた主旋律のフレーズを、細切れにならないように自然に歌うことが、やはり何より大切になってくると思います。それを支えるのは、伴奏楽器のニュアンスをこめた、相手方のパート。スタッカートの連続をきれいに決めるのは、思いのほか難しいものですが、楽譜のBやEなどに出てくる冒頭のテヌートの処理の仕方をうまくつかむと、リズムの流れができてくると思います。Fからの盛り上がるところは、さまざまなやり方があると思いますが、ここが決まると曲全体の質感がぐっと上がる感じになるでしょう。
秋の夜長に、こんな世界へ音楽で飛んでゆけたら素敵だなぁと…今のような日常のなかでも、ふと気持ちが軽くなるひとときになればと願っています。(「季節の一曲」2020年10月~12月)
楽曲への思い (3) Thoughts about my works (3)
♪マリオネット♪ Die Marionetten (E.Rhode/ Nanase) (2Flutes) MOS No.59 (2015)
19世紀にドイツ東部で活躍した作曲家ローデによる、シンプルで楽しいピアノ曲が原曲です。ローデの作品で日本版が出ているのは、この曲だけのようですが、ピアノを習った方には、「あやつり人形」のタイトルで、もしかしたら発表会などで弾いた記憶があるかもしれません。
ドイツは欧州のなかでも特に人形芝居が盛んなようで、専用の芝居小屋もあり、古き良き民衆の楽しみだったようです。その内容は子供向けのものばかりでなく、結構シリアスな大人向けの演目もあるようで、市民の心にしっかり根付いている文化という感じもします。
このフルート二重奏版では、旋律のかけあいが頻繁に出てきます。中低音の鳴りづらい音域が主旋律になるところには、大きめのデュナーミクを記してありますので、それぞれの役割をスコアを見て確かめながら、アンサンブルをまとめてみてください。
快活なテンポをしっかり保つようにして、カデンツは、リラックスしてちょっとおどけた感じにすると楽しいと思います。
聴いてくださる方々は、どんな人形を思い浮かべるかな…そんなことを想像すると、ワクワクしてきませんか? (「季節の一曲」2021年1月~3月)
♪辻音楽師 (ストリートオルガン弾きは歌う)♪ The Organ-Glinder Sings Op.39-24(23) (P.Tchaikovski/ Nanase) (2Flutes+Picc.) MOS No.23 (2003)
チャイコフスキーの子供向けのピアノ小品集「こどものためのアルバム」は、子供の内面の宇宙がちりばめられた、おもちゃ箱のような曲集です。この「辻音楽師」は、旋律の美しさの中に物語を感じる作品なので、ぜひ現場で使って頂きたく思い、アレンジしました。フルートだけでもできますが、ピッコロを用意できれば、ぐっと世界が広がります。
元々器楽曲は言葉を伴わないので、具体的なイメージを直接示すことはできませんが、一緒に演奏してきた読響アンサンブルでは、こんな語りと組み合わせて、ちょっとした劇仕立てにして、学校や街の身近なコンサートで演奏しました。
それぞれのグループで物語を考えて、新たな世界を広げて頂けると嬉しいです。
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いつもの土曜日。
ストリートオルガンが、広場のかたすみにやってきました。
おじいさんがハンドルを回して、さあ、素敵な演奏のはじまり、はじまり。
子どもたちは、大好きなおじいさんの楽器のまわりに、かけ足で集まってきます。
高い音、低い音、やさしい音、ちょっぴりこわい音、
いろいろな音がするなぁ。
わたしにも、弾けるかしら。ぼく、弾いてみたいなぁ。
おじいさんは疲れたので、ひと休みします。ついうとうとしていると…
さっき一番前で、いっしょうけんめい聴いていた子どもが飛び出してきて、
オルガンのハンドルに手をかけ…
もう、はやる気持ちをおさえられません。
夢中でハンドルを、力いっぱい回します。
おじいさんはオルガンの音で目を覚まし、
子どものそばへやってきます。
しまった、見つかっちゃった!大好きなおじいさん、おこってるかな…。
でも、やさしいおじいさんはおこりません。
そんなにこの楽器が好きなのかい?じゃあ、いっしょに弾いてみよう。
ほら、こうすると、いい音がするだろう?
おじいさんは、子どもの手に自分の手を重ねて、
二人でハンドルを回します。
出てくる、出てくる、素敵な音。
子どもは、とってもしあわせな気持ちでした。 Copyright (C) Ayuko Nanase
(「季節の一曲」2021年4月~6月)
♪シェリト・リンド♪
Cielito Lindo (Q.M.y Cortés/ Nanase) (2Flutes) MOS No.62 (2016)
メキシコの夏の空、青く澄んだ空の下で陽気に過ごすひとときを感じるような、夏らしい開放感あふれる曲。
ラテン・ポップスとしてもおなじみの曲ですが、実は19世紀の終わりに作られている意外と古い曲です。
それだけ長い年月、愛され歌い継がれてきたということですね。
シェリト・リンドとは、美しい空(天国も表す)という意味ですが、この曲の歌詞では、美しい人、素敵な人という呼びかけのように使われている恋の歌です。
楽譜の冒頭の短い序奏は、そんな物語の幕開けといった感じでまとめると、うまくつながると思います。
Dからの転調したところからは、さらに空高く舞い上がる感じになるといいなと思っていますので、ここに来るまでに吹きくたびれてしまわないように、うまく配分してみてください。
ラストは、思いっきりピアニッシモにして音量を下げて始めると、ドラマチックにまとまると思います。
気分はテキーラで乾杯…そんな日が遠からず訪れることを祈りたいものです。(「季節の一曲」2021年7月~9月)
♪風のインテルメッツォ♪ Intermezzo of the Winds (Nanase) (2Flutes) MOS No.68 (2018)
インテルメッツォとは、間奏曲を意味します。
「間奏」というからには、前後にメインの曲があるような気がしますが、実際の間奏曲には、前後に曲が必ずしも存在するわけではなく、間奏という独特の存在感を意識していることも多くあります。
この曲には元々歌詞がついていて、一級河川の河川敷の情感を歌ったものでした。
二つの地域を分けて流れる川には、両側から風が流れ込んできて、風がちょっと不思議な動きをします。まるでそこへひととき逃れるようにやってきて、集まった風たちと共に舞いながら生まれ変わり、再び人々の群れの中へと帰ってゆくように。
息の楽器フルートには、そんな風たちの世界が似合うような気がします。
曲は3拍子のワルツで流れていきますが、一小節で大きな一拍として感じられるように意識すると、ダンスの動きの感じが出てきます。テンポや、演奏する場所の音の響き方、そしてアーティキュレーションのまとめ方で、驚くほど多彩な表情が出てくることを最近感じますが、これはフルートならではの面白さだなと思っています。
半音上がって転調してからが結構長いので、ここでもたつかずに「ノリよく」まとめると、かっこいい演奏になると思います。
たくさんの風を感じながら演奏して頂けると嬉しいです。(「季節の一曲」2021年10月~12月)
♪コリア風デリカート♪ Delicato in the manner of Korea (Nanase) (3Flutes) MOS No.50(2012)
今では韓流というと、若者を中心としたアジアンな流行の先端のひとつになっていますが、この曲の原曲(ファゴットとピアノ)を書いた頃('93年)は、まだまだ韓国文化は知る人ぞ知る世界でした。
しかし、今も韓国の民俗音楽の伝統は民衆の間で確かに受け継がれており、その気質は人気ドラマやK-Popの底流を支えていると感じます。「韓国ってこういうところなんだ」「韓国人ってこういうふうに感じるんだ」と肌感覚で理解するような親しみ方が、情報化が進んだおかげで身近にできるようになりました。
この曲をコリアっぽく演奏するには?そう、フルートの伝統的な奏法や音楽のまとめ方のコツから一歩外へ踏み出した世界に挑戦することを意識すると、面白くなると思います。サムルノリやパンソリ、散調(さんじょう)などをご存知の方は、何となくそんな香りが感じられるかもしれませんが、曲の初めは落ち着いて、だんだん盛り上がってトランス状態へ向かうような、呪術的な音楽のイメージを持つといいと思います。
楽譜の(E)から、冒頭のテーマが再び出てきますが、ここを西洋音楽の繰り返しよりも変化を大きく意識して、細かい装飾音をうねるようなニュアンスにすると感じが出てきます。(I)からは3本でしっかり煽り合って、139小節の subito P が決まるとシャーマニズムの音楽らしくなります。
そして「デリカート」。人にも自分にもデリケートに接する時、優しさとそれを支えるエネルギーが必要ですよね。そう、生きることへのある覚悟を持った強さ。これもコリア風から我々が学ぶことかもしれませんね。(「季節の一曲」2022年1月~3月)
(上記の「楽曲への思い 特別編」にも記載があります。)
♪マンマ♪
Mamma (C.A. Bixio /Nanase) (3Flutes) MOS No.53 (2013)
春になっていろいろな花が次々と咲き、新緑がまぶしくなる頃、カーネーションが店先に並ぶ「母の日」が巡ってきます。
「母」を歌い上げたこの曲は古いナポリ・カンツォーネで、第二次世界大戦の頃、イタリア軍の兵士たちの間でさかんに歌われたというエピソードがあるくらいですから、かれこれ80年くらい前から人々と共にあった歌と言えます。
遠くにいる母親を慕い讃えるという歌詞の内容を見ると、日本人にはそのストレートな感情表現がちょっと照れくさい気もしますが、音楽はカラッと突き抜けるような明るさのなかに、ちょっと切ない感じもあって、自然にその世界に入ってゆけるのではないかと思います。
演奏をまとめるには、やはりこのリズムの感じがしっかり決まることが不可欠だと思います。
テンポが遅くならないように、特に楽譜のAからCの部分で、伴奏部の冒頭が休符のところの処理、つまりは強めのシンコペーションがうまくいくと、ノリの良い流れができてきます。
また、特に前半は主旋律を取るパートが頻繁に変わるので、初めは合わせるのが難しく感じるかもしれませんが、それぞれの役割を面白がりながらまとめてみてください。
初夏の日差しのなかで、南イタリアの明るさを楽しんでいただければ幸いです。
(「マンマ」は Field work のページにも記載があります。)(「季節の一曲」2022年4月~6月)
♪八月のねがい♪
A Wish in August (Nanase) (3Flutes) MOS No.71 (2019)
盛夏の灼けつくような陽射しの中で、誇らかに凛と咲き続ける宗旦木槿(そうたんむくげ)の花。白い花弁が無垢で清楚な分だけ、むしろ花の中心の紅色にはハッとするような秘めた妖艶さが漂うような…。
そんな女性になれたらいいなぁという内容の歌詞と共に、はるか昔に発表した曲が元になっています。
私にとっては、最初の主催公演のオープニングで緞帳が開く音を聞きながら、シンセサイザーで演奏したことがよみがえる縁の深い曲といえます。
その後歌詞の世界を少し離れて器楽への改編を試み、さらにフルート三重奏版に書き下ろしてからは、最初の木槿の花の絵画的なイメージよりも、もう少し「ねがい」のニュアンスが高まってきたと感じています。
八月は祈りの季節。旅立った魂と向き合い、「逝く」夏に思いを馳せるのは、日本人らしい季節の味わいかもしれません。
アンサンブルで演奏効果を上げるには、楽譜のEの部分でほんの一瞬バロック風になりますが、ここの処理の仕方で、大きく印象が変わってくるでしょう。音質やアーティキュレーションの処理を、この部分だけはっきり変えるようにするとうまくいくと思います。(「季節の一曲」2022年7月~9月)
♪ 連禱♪
Litanei Litanei auf das Fest Allerseelen (F. Schubert/ Nanase) (2Flutes) MOS No.68 (2018)
ハローウィーンはすっかり日本でも秋の一大イベントのようになってきました。仮装した子供たちが町を行き来する姿も見慣れた景色になりましたが、ハローウィーンが実は日本のお盆のように、死者を迎えてお祈りをするという儀式(万霊節)に由来していることはまだそんなに知られていないかもしれません。
連禱は、本来はカトリック教会での礼拝のスタイルを指し、互いに祈りの言葉を交わし合うことで、死者の安らかな眠りに祈りを捧げるものです。
そういう意味では、元々はこの曲も宗教音楽の意味合いが強くあると言えますが、実際はシューベルトの傑作のひとつとして、万霊節の時期ばかりでなく、いろいろな機会に演奏されることも多いようです。
挽歌のような悲しみにあふれた曲とは違って、短いながらも深い静けさに満ちた安らぎを感じさせる音楽として、我々日本人の感性にも訴えかけてくるような気がします。
楽譜のBの後半から、主旋律が交互に歌い交わすようにチェンジしていきますので、そのあたりの各パートの役割を、スコアを確認しながらまとめるとうまくいくと思います。
ちょっとホラー風のハローウィーンの仮装を楽しんだ後は、こんな曲で気持ちを静めて、しばしあちらの世界に思いを馳せてみてはいかがでしょう。(「季節の一曲」2022年10月~12月)
♪ ゴセックのガヴォット♪
Gavotte (François-Joseph Gossec/Nanase) (2Flutes) MOS No.50 (2012)
いろいろな編成の編曲があり、大変よく知られた曲ですが、ベルギー生まれのフランスの作曲家ゴセックが「フランス交響曲の父」と呼ばれる存在で、40曲を超える交響曲があり、後半生にはオペラにも心血を注ぎ、この「ガヴォット」がオペラ(ロジーヌ 1786年)の中の1曲であることを知る人はごく少数だと思います。
そして、1月生まれのゴセックが当時としては大変な長寿で、95歳まで生きて、パリ音楽院設立時から音楽教育の世界でも大きく貢献したことも知る人ぞ知る情報かもしれません。
こんな小さなかわいらしい印象の曲、ちょっとおどけた雰囲気もあってとっつきやすい曲の裏側には、壮大なストーリーがあるのですね。
フルート2本というシンプルな編成ですが、引き算アレンジの典型で、アーティキュレーションをしっかりとらえて演奏することで、思いがけない世界の広がりが期待できます。
主旋律を取るパートが頻繁に入れ替わりますので、そんなやり取りを面白がってくださると、楽しい演奏に仕上がると思います。(「季節の一曲」2023年 1月~3月)
♪ 喜びのプレリュード♪
Prelude of Joy (Nanase) (2Flutes) MOS No.62 (2016)
プレリュード(前奏曲)という名の付く楽曲には、何か新たな始まりを予感するような気分を感じるものだと思います。それがどんな物語でも、まずは新たな歩みを祝福して力強く前に踏み出してみたくなるような。
この曲も、とある結婚式のために作曲・演奏したものですが(オリジナルはピアノソロ。原題「光のプレリュード」2006年)、高揚感や光あふれる華やぎのなかにありながらも、浮足立った感じの嬉しさよりも、もう少し覚悟を決めた感じの緊張感やおごそかさを伴った喜びを意識したことを、今も鮮明に思い出します。
そして私にとっては、この8年後(2014年)に旅立った亡き従姉の満面の笑顔に重なる曲。音楽は人と人とのつながりや思いが土壌になり、そこから芽吹き育ってゆくことを、今まで以上に強く実感し、彼女の3回忌の年に楽譜として出版するタイミングとなりました。
出だしのピアニッシモの質感が、全体の演奏の印象を大きく左右します。主旋律の部分に大きなスラーを書いていませんが、大きなフレーズのまとまりを意識するといいと思います。カデンツは自由に楽しんでください。楽譜のHから16分音符がたくさん出てきますが、2番と3番がしっかり合うことで完成度が上がってくると思います。
皆様にとって、新年度が喜び多いスタートでありますように。(「季節の一曲」2023年4~6月)
♪ フルート・トリオのための「鱒」♪
Variations on "Die Forelle" (F. Schubert/ Nanase) (3Flutes) MOS No.68 (2018)
フルート三重奏は、シンプルな組み合わせにもかかわらず、実はとても大きい可能性を秘めていると思うのですが、その可能性に挑戦してみたくなったのが、この「鱒」です。
ベースになっているのは、ピアノ五重奏による「鱒」。
曲名を知らない人でも「ああ、あの曲」と思えるほどの耳なじみのよさは、まさにシューベルト自身の歌曲を題材にしている、いわば自作の「アレンジ作品」だから。
オーストリア中央部の風光明媚な土地で書かれたこの室内楽版は、キラキラした水の輝きや、鱒の元気のいい動きを感じるような、命の喜びに満ちた作品に思えます。
早々と世を去った(31歳)ことでも知られるシューベルトですが、この曲は、まるで物理的な時間とは別の次元での豊かな「生」を謳歌しているような。
このフルート版は、各パートそのものは音域も運指もさほど難しくないのですが、アンサンブルにまとめるのはちょっと気合がいるかもしれません。ぜひじっくり時間をかけて、それぞれのパートの役割を確かめ、意見交換しながら仕上げてみてください。
熱くなりすぎずに、演奏にゆとりが出てきた頃、音楽のなかできっと鱒が踊りだすことでしょう。(「季節の一曲」2023年7月~9月)
♪月に寄せる歌(歌劇「ルサルカ」より)♪
Song to the Moon from Rusalka (A. Dvořák/ Nanase) (3Flutes) MOS No.71 (2019)
空気が澄んでくる秋から冬への季節は、空にかかる月の美しさが心にしみる気がします。
ドヴォルジャークのオペラ『ルサルカ』は、欧州各地にある水の精伝説、つまり水の精が人間の王子に恋してしまうという幻想的な世界が描かれ、アンデルセンの人魚姫にも通じるストーリーですが、チェコ語で書かれているためか、演奏される機会はそう多くはありません。
ただこのアリア「月に寄せる歌」は、その旋律の美しさゆえに、器楽バージョンもいろいろ作られていて、言葉の壁を越えた名曲として、愛されているといえます。
有名な交響曲第9番「新世界から」や、スラブ舞曲などとも共通するような、独特の気分を楽しみたいところです。
演奏にあたっては、主旋律を取るパートが入れ替わるところをまずしっかり確認してください。歌の曲なので、メロディーがしっかりと浮き立つように。
3拍子で書かれていますが、ワルツのように受け取らず、伴奏部分の細かいシンコペーションの掛け合いを丁寧に処理してゆくと、スラブ系の独特のリズムの動きが前面に出てきます。
楽譜のFやコーダにある細かい動きは、フルートでないと出せない味わいです。水の匂いや異界に誘うような気分を意識すると、ちょっと異次元へワープするような不思議な感覚を楽しめるかもしれません。(「季節の一曲」2023年10月~12月)
♪カロ・ミオ・ベン♪
Caro mio ben (T.Giordani/ Nanase) (2Flutes) MOS No.65 (2017)
この曲を音楽の授業で歌った、という思い出のある方も少なくないかもしれません。声楽を習い始めると、まずはこの曲を歌えるようになりたいと思うような、代表的な一曲と言えます。
元の楽譜には、アリエッタつまり小さいアリアという副題がついていますから、オペラのアリアの情感などと通う気分を意識しているとも考えられます。
作者については、長年正確なところが分からない時期が続き、作詞者は今もなお不明です。まさに音楽が独り歩きをして(作者の存在を押しのける?かのごとく)、人々の間に広がったわけです。
「いとしい人よ」というタイトルですが、歌詞の内容は、愛する女性のつれない態度を嘆き、自分を信じてほしいと訴える切ないもの。
歌の曲ですから、長いひとまとまりのフレーズをうまく整えることが大切です。楽譜のBからは少しずつ器楽的なフレーズが出てきて、Dからは変奏になっていきますが、ここの細かいアーティキュレーションを丁寧に処理することでメリハリのある演奏にまとまってくると思います。短いカデンツも自由に楽しんでみて下さい。
テンポが揺れるところの処理は、二重奏の腕の見せどころかもしれません。
素敵なアンサンブルを期待しています。(「季節の一曲」2024年1月~3月)
♪桜シャンソン♪
A Chanson of Cherry Blossoms (Nanase) (2Flutes) MOS No.77 (2021)
このフルート二重奏曲のベースになっている曲を、歌詞のついた曲として発表してから、実にもう30年以上が経ちました。私にとっては、当時を思い出す懐かしい曲である一方で、桜のテーマというのは、本質的に時代を超えて生き続け、新たな世界を広げてくれるものらしいという実感もあり、新鮮な驚きを覚える曲でもあります。
元の歌詞は、恋人が去った今も、花は繰り返し咲く、遠い回想の中でその人は桜の精霊だったかもしれない、という幻想的な広がりのあるものです。
華やかで、刹那的で、また内省的な静けさをも呼び覚ます、桜の何とも不思議な世界は、きっと日本人が桜と付き合ってきた伝統的な習慣を超えて、さまざまな背景を持つ人々の心をとらえるものなのかもしれません。たとえば、シャンソンのような洒脱な情感にも通うような気がしています。
楽譜を見ると、Bからは、一見「あれ、主旋律は?」という印象を持たれるかもしれませんが、音を出してみると双方のパートで旋律が行き来していることが分かると思います。
これができるのが、フルート二重奏の面白いところなので、ぜひそれぞれの役割を検討しながら楽しんで吹いて頂きたいと願っています。
また、アーティキュレーションをしっかり丁寧に処理すると、ぐっと演奏があか抜けて世界が開けてくるのも、二重奏というシンプルな編成ならではのこと。
79小節目のMeno Mosso のところの処理の仕方で、この曲の印象が決まると言ってもいいかもしれません。そういう意味では難しいところですが、テンポを緩めるというよりもむしろ、自由に語るイメージでラストを決める感じにすると、収まりがいいと思います。(「季節の一曲」2024年4月~6月)
♪80日間世界一周♪
Around The World(V.Young/Nanase) (2Flutes) MOS No.13 (2000)
夏は旅ゴコロをそそられる季節。音楽の翼を広げて、世界旅行はいかがでしょう。
この原曲は、19世紀後半のビクトリア朝時代のイギリスを舞台にした同名の映画のテーマ。今や映画音楽の名作中の名作といえるでしょう。
映画は1957年に劇場公開され、その年のオスカーを5部門受賞。アメリカ人作曲家ビクター・ヤングによるこの曲も作曲賞を受賞しています。
ストーリーは、飛行機のまだない時代に、英国紳士が「80日間で世界一周できるか」という賭けをするもの。鉄道や船、気球や象にも乗り、日本にもちゃんと寄ってくれるのですが、それはそれは大忙しのドキドキハラハラさせられる楽しい映画です。
イントロは、のんびり優雅な旅の始まりのイメージ。実はこの曲にはメドレーの要素が隠されていて、楽譜のAとBの部分を繰り返す(二回目は1stと2ndを入れ替えて)と長い時間演奏するシーンに対応できるというわけです。
テンポは比較的自由な設定を考えていますので、各部分のテンポを変えてみたり、細かい部分の処理の仕方でいろいろな世界旅行の風景が広がって行くといいなぁと思っています。
--- この作品は、実は私にとって「ムラマツ・オリジナル・シリーズ」の第一曲目という記念すべきもの。今もその時の気持ちを思い出します。原稿を提出した時、編集者から「なかなかいい感じですよ」と言っていただき、その声は今も心の奥深く残っています。(「季節の一曲」2024年7月~9月)