縁あって、デンマーク Denmark and I
その間に私自身の心境やスタンスも少しずつ変化していますが、ここには当初から少しずつ記事を追加していったものを掲載しています。
そんなわけで、まだまとまりに欠けますが、徐々に整えていきたいと思っています。
まずは Dreams come true の流れを喜び、助けてくださっている関係者の方々に心からの感謝を捧げます。
------ ------ ------ ------ ------ ------ ------ ------
◆ 福祉大国デンマーク ◆
数年前から、ある必然的な事情によりこの国に興味を持つようになり、その豊かで深い精神性に魅せられてきました。
◆ デンマーク大好き、だからこそ…? ◆
だからこそ。完全にかぶれてしまってはダメなのだと思います。
このサイトをご覧になった方はきっと、わぁ、デンマークにハマってる人なんだ、という印象を持たれると思いますので、ちょっと意外に感じられるかもしれませんが、ここが実は大事で、もっとも難しいところなのだと思っています。
惚れたらとことん…それも必要だと思います。でもその一方で、冷静に空から俯瞰できる、もう一人の自分を持つように意識する。そうしないと、足元をすくわれてしまう。本当の信頼関係を結ぶためには、一方的に理想化して寄り掛かるだけでは、いずれ無理が出てくると思うのです。
グローバル化が急速に進み、情報も世界中で共有できる時代がやって来ました。私の印象では、80年代90年代あたりに比べると、海外での日本人についての情報は、近年圧倒的に増え、ステレオタイプな見方もかなり修正されてきたように感じます。そう、思っている以上に日本人は正当に評価されてきている、尊敬されているかもしれないと。
そんな今、それぞれの背景のなかで、このすばらしい福祉大国のあり方を、よくかみ砕いて自分のものにしながら、日本人ならではの貢献でお返しができたらと。そんな気持ちでいます。 (2015.1.27)
◆ 魂の歌って、何だろう? ~音楽家から見た福祉大国~ ◆
思いがけないきっかけでデンマークと関わることになりましたが、音楽家として、渡航当初からしっかり意識していたことが一つあります。それは、旅の記事のタイトルにもなっている「魂の歌」ということでした。
◆音楽で「福祉」を問いかける意味◆
このサイトをご覧になった方から時々、「音楽家にしては珍しく、左脳も使ってるんですね」という種類のコメントを頂くことがあります。音楽家というと、一般にはパフォーマンスで圧倒する世界、という既成概念があるからなのでしょう。ストイックな部分が強調された情報も、多く目にします。
確かに音楽家には様々なあり方があると思いますが、実は私は、音楽という「窓」を通して、広い視野を得たり、柔軟な考え方ができるようになると感じてきました。
音楽は、人の「想い」から出てくるもの。その「想い」とは、例えば喜び、悲しみなどの名前のつく「想い」よりも、もう少し心の深いところにあるもの。音楽を作り、演奏を高めてゆくことは、この「想い」との対話です。
さまざまな想いと出会い、音楽の形にして、演奏者と分かち合い、聴衆につなげてゆく仕事、それが作曲・編曲家の役割なのだと考えています。「想い」にいつもアンテナを張っていると、思わぬところでビビッと反応することがあります。その一つが、福祉大国たるデンマークの精神性でした。長寿大国日本の本当の幸せのために、音楽家としてできることは何か、という風に考えるわけです。(2017.7.2) --- 2017年4月の主催公演より。
◆幸福感の扉を開く「残存能力」という見方◆
福祉に特に興味のある方以外の一般の方々にとっては、もしかしたら福祉の話などは、できるなら、例えば介護の担い手になるなど、それがわが身に降りかかるまでは、なるべく避けて通りたいことの一つなのかもしれません。しかし、北欧福祉の考え方は、施設などの支援の場だけでなく、というよりもむしろそれ以前に、健常な人々の価値観にこそ、大きな力を持っていると私は考えています。
「残存(ざんぞん)能力」。これは福祉の専門用語で、心身のどこかに不自由なところが生じた時に、マイナス面を見るのではなく、その時点で残っている機能や能力についてきちんと評価し、それを最大限に生かしてゆこうという考え方です。よく「コップに水が半分ある。半分しかないと思うのか、半分もあると思うのか。」というたとえが、プラス思考に発想を変えてゆくための導入として使われますが、これと同じ感じです。
デンマークは11~12世紀の頃はイングランドも支配するほどの大帝国だったのに、その後度々の敗戦などで、資源のない弱小国に転落しました。しかしそこから這い上がり、世界一幸福な国と言われるまでに再生・復活できたことの大きな原因は、この「残存能力」を生かすという発想だったと言われます。まずは考え方から。それが人々の幸福感の扉を開くと思っています。(2017.9.22)--- 2017年4月の主催公演より。
デンマークへの旅 On-the-ground research in Denmark
2011年から続けているデンマークへの旅。まずは、紙媒体の通信に掲載してきたレポートの記事をご紹介します。
----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
私は子供時代に病身の家族と共に過ごしたせいか、福祉の世界には前から強い関心を持っていましたが、だからといって、何かその方面の資格を持っているわけではありません。超高齢化社会を目前に、福祉の分野は今まさに切実なニーズがあるはずですが、理念のしっかりしている事業者は、まだごくわずかでしょう。
福祉とは、何も特別なことではなく、なぜ人が生まれてきたか、なぜ生きているのか、これからどこへ行くのか、という根源的な問いに迫る世界だと私は考えます。そして、すべての人がそれぞれの立場で参加し、育ってゆけるものだと思うのです。
(以下は、上の記事の続き。号が変わる関係で、少し記述がダブります。 『ろここ通信』No.85 2013.4 より)
昨年(2012年)、二度目のデンマークでは、最先端の高齢者福祉の現場を見学する機会に恵まれ、お国柄は違っても、人間が「生きる」という原点をしっかり見据えたやり方、その懐の深さを目の当たりにできたことは、貴重な経験でした。
個人主義が成熟した国だからこその福祉大国、という面もありますが、ヨーロッパのなかでは辺境に近い地理的条件を生き抜いてきたデンマークの人々は、誇り高くても決して奢らず、日本からの見学者を、共に歩む同志として、むしろ敬意を持って迎えてくれたことは、少々驚きであり、なるほど、これが北欧のすごさなのかな、と思ったりしました。
--- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して [2013] ◆ --- --- (『ろここ通信』No.87 2014.4 より)
オーフスは、フルートの編曲作品でも取り上げている作曲家シュッテ L.Schytte の出身地です。…市内には、デンマークの古い時代の風景を再現し、保存しているオールド・タウンという人気のスポットもあり(写真3)、アンデルセンの時代の、貧富の差歴然とした生活ぶりが、デンマーク人らしい合理性に基づいた、効果的な手法で展示されています。今や、国連の幸福度調査世界ナンバーワンのデンマークですが、このような、正史に書かれていない劣悪な状況を克服してきたのかと思うと、言葉を失う思いでした。
もちろん本業の音楽の調査も収穫があり、楽しい一日となりましたが、究極のバリアフリーは、やはりまず「心」から、という考えを実践している世界は、まさに圧巻。現地だからこそ伝わってくる感覚を味わうことができ、またとない経験となりました。
なかでも、フォルケホイスコーレの礎を築いた、「近代デンマークの父」グルントヴィの話は圧巻で、歌の歌詞をたくさん書き、民衆の中の歌のあり方を牽引してきたグルントヴィは、韻を踏んだ歌詞のリズムは上手なのにも関わらず、いざ歌となるとうまく音が取れず(つまりは音痴)、全く一緒について歌えなかったと聞き、本当に驚きました。これはつまり、音痴でも気に病まずに、歌の世界へ入ってこいよ、ということ。音楽家にとって、示唆の多い事実であり、福祉の世界でいう「ノーマライゼーションnormalization」と密接にかかわる深い意味を持っていると、考えさせられました。
デンマークへの旅(2)
--- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して[2015]◆ --- --- (『ろここ通信』No.91 2016.4 より)
デンマーク発祥の地ともいわれる、ロスキレRoskilde の地は、コペンハーゲンが拓かれる前に、王族の拠点があった場所。先祖であるヴァイキングたちは、このロスキレ・フィヨルドの港から船を出して、様々な海を巡って商才を磨きながら、交易を広げました。ヴァイキング船を復元して、実際に係留している博物館もあるのですが、思いのほか小さな船もあって、ちょっとびっくり(写真1)。
ヴァイキングが伝え、持ち帰ったもののなかには、きっと各地の音楽も含まれていたはず。それらはきっと、大半が口伝えで、記憶に残ったものだけが生き残り、普通の庶民が口ずさんだり、職業的な音楽家たちのレパートリーになったりしながら、いつしかおなじみの歌になるのでしょう。デンマークの愛唱歌を調べていると、そんな先祖たちの、歌に対する活発な思いが伝わってくる気がします。陽気で歌の好きな民族といわれるデンマーク人の歌を訪ね始めると、はてしない時空の森に迷い込みそうになりますが、今回は歌の得意な精鋭グループである、国営ラジオ局が主宰する若い女性だけからなる合唱団 DR PigeKoret (←英語版ホームページにリンク) を取材。前回取材した、民衆のためのアマチュア合唱とは、ある意味対極にある世界は、実際のところどんな感じなのだろうと思い、コーディネーターTさんと共に、練習風景にお邪魔しました。
素直な発声で、本当に自然体で自分の声と向き合っている印象。しかるべき誇りをもって音楽に取り組んでいるのに、技術への力みは全く感じられず、歌の資質に恵まれた人たちが、自然に集まってきている感じ。この感じが、指揮者フィリップ・フェーバーさん(Phillip Faber)も大切にされているデンマークの「歌文化」かと、少し圧倒されていると、最後に私をピアノに座らせて全員で囲み、デンマークの「心の歌」投票で1位になった歌「デンマーク、わが祖国」 Danmark,mit fædreland(アンデルセンの歌詞。第二の国歌ともいわれる)を歓迎の気持ちで歌います、というので、小さく出だしを私がピアノで弾くと、「知っているのか!」と大喜び。彼女たちのア・カペラの演奏には、成人になる直前の声にしかない独特のピュアな色気があり、心のこもったサプライズに、思わず目の前が涙でかすんでしまいました(写真2:左端がフェーバー氏。)。
--- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して[2016]◆ --- --- (『ろここ通信』No.93 2017.7 より)
今までなかなか訪ねる機会のなかった、北欧文化発信地コペンハーゲンの「旬」の顔。今回はまず、それを肌で感じてみたくて、町の注目エリアを訪れてみました。海に近いクリスチャンハウン地区には、北欧発の食の革命の担い手として世界が注目するレストランnoma(ノマ)や、ヒッピーによる自治コミュニティー「クリスチャニア」があります。今や予約の最も取れないレストランnomaの外観は、意外にもちょっと和風なロックガーデンで飾られていてびっくり。
また、中央駅から広がる下町地区にあたるヴェスターブロは、コペンのソーホーと呼ばれる、アーティストが多く住む町(写真3)。北欧らしい趣味の良い雑貨やインテリアのセレクトショップが点在していて、堅実で質素なデンマーク人の気質の上に花開いた北欧デザインという図式が、その佇まいから感覚的につかめる気がします。何が本当に必要なのか、どう生きたいのか。百人百様のライフスタイルをがっちり受け止めて、サポートしてくれるような、この町にみなぎる独特の安堵感は、不思議ですらあります。
今回のメインは、デンマーク南西部ユトランド半島にある、デンマークで一番古い町 Ribe リーベ。中世の街並みを保存した旧市街は、アンデルセンの生地オーデンセにも似ていて、さらに「濃い」感じがします(写真4)。「デンマークを知りたいなら、絶対リーベに行って!」という、オーフスでお世話になったコーディネーターの一言が忘れられなくて、コペンハーゲンから電車を乗り継いて約3時間で到着。その日の夕方には、快晴で空気の澄んだ夕暮れにしか見られない「ブルー・モーメント」という、あたりが幻想的なブルーに染まる現象に遭遇し、まさに時空を超越した世界に迷い込んだよう。
リーベには、昔夜警がいたことで知られていて、今も観光用に夜警さんによる夜のガイドツアーがあります。お目当てはもちろん、町の警備や市民生活の諸々の役目を担っていた夜警が、石畳の町を巡回しながら夜な夜な歌った歌を、生で聴くこと。生活の必然と共にあり、人々の意識の奥深くに染みついていたであろうその歌。当時の町そのままの寸法と音の響きの中での夜警の歌は、少しもの悲しく、時にユーモラスで、波乱万丈の歴史をたくましくダイナミックに生き抜いてきたデンマークの人々の想いを語る夜警ガイドの口ぶりには、静かな自信と誇りがにじみ出ていました。
(夜警の歌を織り込んだ新作 ♪Blue Moment in Ribe を、2017年4月の主催公演で初演しました。)
→ → → トップページへ To the front page
デンマークへの旅(3)
--- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して[2017]◆ --- --- (『ろここ通信』No.95 2018.8 より)
デンマークの歌文化を訪ねる取材、今回はデンマーク人が個人の記念日に歌う「替え歌」がテーマ。Selskabs sang(セルスケーブス・サング)と呼ばれるこの歌は、きりのいい歳の誕生日や、結婚式などのプライベートな集まりの場で歌われます。例えばAさんの50歳の誕生日を祝う会なら、出席者全員が良く知っている歌いなれたメロディーに、Aさんのそれまでの人生の出来事を盛り込んだ歌詞をつけて、その場で皆で歌い、Aさんの生きてきた世界を分かち合うというもの。歌詞は当日渡され、前もっての練習はなく、上手な人によるデモ演奏などもなく、いきなり全員でぶっつけで歌うというスタイルです。この条件で、必ず全員が歌えて、歌の世界を理解できることが何よりも優先されます。音は少し外れてもいいけれど、とにかく全員が歌うのについてこられなければダメなので、テンポはゆっくり目。この、参加して唱和し歌の世界を分かち合うことに最大の価値があるというところが、とてもデンマーク的と言えます。つまり、自発的にコミットして、その世界を皆でシェアすることによって、会の主役をリスペクトするという精神です。うまく歌えることよりも、歌というツールでつながることの大切さというのか。
私的な場で歌われるものなので、実際の歌唱には立ち会えませんでしたが、またデンマークの奥深さを知ったと大感激していると、澄んだ青い目をまん丸くされて「なぜ遠い日本に住んでいるあなたが、このような歌に興味を示されたのですか?」と質問されました。デンマーク人にとっての「常識」に驚いた私。でも実はこれが、異文化に学ぶキモなのでしょう。
(写真2は、イスホイさんのお住まいのある、コペンハーゲンのベッドタウンTaastrup の家並み。)